村岡桃佳選手障害に負けずパラリンピックで金銀銅コンプリート!
平昌冬季パラリンピックのメダル第一号、そして金メダルの第一号もアルペンスキー女子滑降座位の村岡桃佳さんが獲得されました!おめでとうございます!
この方は、日本選手団の旗手を務めた方です。
今回の活躍の陰には、前回2014年の初出場となった高校3年でのソチパラリンピックで、女子スーパー大回転座位で5位となった悔しい経験がありました。
この時は緊張のあまりに実力を発揮できず、旗門不通過で失格になってしまったのです。
それこそ心中は、悔しさでいっぱいだったそうです。
そして次(平昌)こそは、私もあそこ(表彰台)に立ちたい!と思ったそうです。
アルペンスキーは自分との闘いですが、だからこそ滑り切ったときの達成感がすごい! だから、どんなに寒くても、怖くても挑戦し続けたいと思える。 平昌ではメダル獲得を目指していきます。 そして思いが叶いました! |
と言って喜びを爆発させていた村岡桃佳選手のアレコレ調べてみました。
何故かと言えば、私も軽度ながら手帳持ち(身体障害者手帳)だから、これだけの障害を乗り越えてこんな素晴らしい結果を得た彼女に対し、羨望と尊敬の念を禁じ得ないからです。
村岡桃佳選手のプロフィール
名前 :村岡桃佳(むらおかももか)
*桃の節句生まれだから桃がつくのですね
出身 :埼玉県深谷市
生年月日:1997年3月3日(22歳)
身長 :150cm
体重 :37kg
ポジション:クラス LW10-2(座位)
得意な種目:ジャイアントスラローム(大回転)
休みの日何してる?:寮でゴロゴロ。
また、遠征の必需品は本とのこと。
学歴
【中学】深谷市立川本中学校
【高校】学校法人智香寺学園 正智深谷高等学校
【大学】早稲田大学スポーツ科学部(2015年入学)
トップアスリート入試を受け、障がい者アスリートとして初めての合格者。
スキー部所属
大学に通いながら、ワールドカップツアーに出場しているそうです。
障害の経歴
桃佳さんは今でも覚えているそうですが、4歳の夏、家の近くのスーパーに出かけた時に、急に足が重たい感じに襲われたそうです。
そして、帰る時には両足が動かなくなっており、兄がおんぶしてくれて家に帰ったそうです。
その後病院に行くと、原因不明の横断性脊髄(せきずい)炎による下半身まひと診断されたそうです。
この日以来、車いすでの生活となってしまったのです。
「まさか?」という気持ちだったのではないでしょうか?
私はてっきり、交通事故とかで障害を持ってしまったのかと思っていました。
私自身は交通事故での後遺障害ですが、そんな原因不明なんて聞いただけでもショックですし、ご本人もさぞかしそうだったのではないかと思います。
元々は外で遊ぶのが大好きだった桃佳さんだったらしいですが、車いすだと、友達と鬼ごっこをしても、誰も追いかけてこないんだそうです。
やっぱり子供同士でも気を使ってしまうんですよね。
そんな友達の気遣いがすごい複雑だったようで、いつからか部屋にこもるようになったとのこと。
そんな人前に出るのが怖くなってしまった桃佳さんを変えてくれたのが、スポーツでした。
きっかけは小学1年の時、県内で開かれた障害者の陸上大会に応援に行ったことのようです。
その影響で陸上競技を始め、車椅子で競技場を活発に動き回る彼女の姿に、関係者が障害がある子どもを対象にスポーツキャンプを開いている団体を教えてくれたのです。
小学2年の時には親子でそのスポーツキャンプに参加しました。
そのキャンプでは、陸上競技やテニス、バスケットボールなどの色んなスポーツを楽しまれたそうです。
翌年の小学3年の時には、福島県で開催されたチェアスキーの体験会に参加。
転倒すると大泣きしたらしいですが、それでもスキーを続けたかったそうです。
風を感じて一人で滑る感覚がとても楽しかったと。
良く理解できます。
私は下半身は今のところ健康体なの(私は右上肢障害です)で、普通に滑れますが、高速ターンなどで風を切る感覚がとても気持ちいいんですよね。
そして 森井大輝(たいき)選手(37)らに憧れ、中学でスキーに本格転向しました。
村岡選手がスキー競技を始めた当時は、チェアスキー競技で世界大会で戦える女子選手はたった2人しかいなかったらしく、「桃佳も挑戦してみれば!世界に行けるよ!」と周囲から期待の声を掛けられ、ちょっと甘い気持ちで始めたとのこと。
でも中学3年生の時に初めて海外試合に行き、そこで初めて海外のトップスキーヤーたちの滑りを目の当たりにした時に衝撃を受け、「自分もこんな風に滑れるようになってみたい!」と強く思ったそうです。
そんな時に初めて高校2年でソチ大会に日本代表選手として出場し、大回転は5位、回転は9位で終わりました。
その後の2015年、パラスポーツ選手として、初めて早稲田大のトップアスリート入試に合格しました。
主な成績
2014年 ソチパラリンピック スーパー大回転 途中棄権 / 大回転 5位 / 回転 9位
2015年 IPC世界選手権(カナダ) 滑降 2位 / 大回転 3位
2017年 IPC世界選手権(イタリア) 滑降 3位 / スーパー大回転 3位 / 大回転 3位
2017年 IPCワールドカップ(白馬) スーパー大回転 1位 / スーパー大回転 2位 / 大回転 3位
2017年 IPCワールドカップ(韓国) 滑降 3位 / スーパー大回転 3位 / スーパー大回転 2位 / 回転 2位
2017年 IPCワールドカップ(オーストリア)大回転 4位 / 大回転 2位
2018年 IPCワールドカップ(カナダ)スーパー大回転 3位 / スーパー大回転 3位
村岡桃佳選手の障害度とクラス
村岡桃佳選手はシッティングクラススポーツのLW10-2というクラスらしいです。
シッティング(座位)クラスは、下肢に障がいがあり、立った状態で滑ることが難しい選手が該当するカテゴリーです。
チェアスキーに乗り、ストック代わりのアウトリガーと呼ばれる用具を持って滑ります。
これがチェアスキーです。
(シートに座って身体をベルト等で固定し、スキーを操作します)
シッティング(座位)クラス(チェアスキーを使用)
LW10-1 下肢および上部腹筋の機能がなく、座位バランスがない選手(例:脊髄損傷・脳性麻痺)
LW10-2 下肢の機能障害および上部腹筋に軽度の機能障害があり、座位バランスが 不良の選手(例:脊髄損傷・脳性麻痺)
LW11 下肢に機能障害があり、座位バランスが中程度の選手(例:脊髄損傷・脳性麻痺)
LW12-1 下肢に機能障害があり、座位バランスが良好な選手(例:脊髄損傷)
LW12-2 下肢に何らかの切断がある選手 (例:両大腿切断)
それぞれの選手に障がいの重さ(程度)に応じた
係数をもうけ、実走タイムにその係数をかけた
計算タイムで順位を決定しています。
(チェアスキーを)滑る魅力としての一番の醍醐味は、時速100キロにもなるというスピードです。
スピード狂にとっては良いかもしれませんが、通常の人だと100キロはかなり怖く感じると思います。
その競技、ダウンヒルでは時速100キロにもなりますので、チェアスキーだと視線も低くなるのでそれはもう、体感スピードは普通の人がスキーでスピード出すよりも更に怖いですよ。
それからもう一つの魅力としては、アルペンには基本タイムとか標準タイムがないというところです。
場所が違えばその時のコースも違う、ということは斜度なんかも違いますしね。
天候も違いますし、いろいろな要素があるので標準ってものが作れません。
その時のコンディションで自然との闘いをすることがアルペンですので、記録更新を目指すというよりも、どれだけ自分が納得できる滑りをしたかが勝負だというところが面白いんだと思います。
まあ、基本的には自分の納得のいく滑りができた時は、やはり記録も良いですし、終わった時の達成感も格別のようです。
気持ちわかりますね。
村岡桃佳選手を支える家族とチーム
村岡選手は、父・母・姉・兄・妹の六人家族。
下肢に障害のある桃佳さんがスキーを続けるのには、やはり家族の協力なくしては有りえなかったと思います。
同じように障害のある私も、どれだけ家族に助けられたかが身に沁みてわかりますから。
お父さん
チェアスキーを始めるにあたっては、想像がつきますが、コーチや指導者もいなかったとのこと。
なので桃佳さんはずっとお父さんに教わってきたのです。
お父さん(村岡秀樹さん 46歳)は、スキーとは関係のない水道関係の自営業をしていらっしゃるそうです。
そんなお父さんもスキーは趣味程度だと言います。
アルペンなどの競技に関わっていたわけではありませんでした。
ですから当初は親子二人で手さぐりの練習をするしかありませんでした。
秀樹さんは、見守るだけでなく、娘と同じ目線を経験しようと、陸上競技用の車椅子「レーサー」に乗ったそうです。
うまく進めず、お互いに「どうすれば速く走れるか」を真剣に話し合いながらの練習したそうです。
ゲレンデは相当寒かったらしくて、父と二人で凍えながら半泣きで練習していました。
桃佳さんは今でも、「寒いし凍傷になるし、なんで私はスキーをやってるんだろうな」と思う時もあるそうです。
でも父との練習のおかげで自分でも「上手くなった」と思えるほど滑れるようになっていき、高校1年の終わりには、トップ選手たちが「え、どうしてそんなに上手くなったの?」と尋ねるほどに成長していました。
そして早大に進み、スキー部に所属して現在では寮生活の村岡選手。
日本代表チームの合宿や遠征も増え、自宅で過ごすのは1年のうちわずかになりました。
でも遠征から帰国した時などに父の秀樹さんが空港へ迎えに来てくれるそうです。
迎えに来てくれた時の車内の会話は、アルペン競技の専門的な内容が増え、秀樹さんは「私はもう分からない」と話していたそうです。
そういってもそんな娘の成長ぶりが嬉しくてたまらないのでしょう。
たぶん今回の平昌で金メダルをとって、更に金・銀・銅のコンプリートで嬉し泣きしているのは
本人よりもお父さんかもしれませんね。
お母さん
早稲田大学は桃佳選手の入学にあたり、寮をバリアフリーに改装したのですが、トイレの手すりなどのチェックを入念にしてきたのは、お母さんの操さんだったそうです。
こういうところにも家族愛がしっかりとある証明ですね、素晴らしいです。
彼氏(恋人)
全く探せませんでした。
どこを探しても噂も見つかりません。
まあオリンピック目指しているアスリートですから、やっぱりその間って気持ちが恋愛には向かないのですかね?
倉田秀道さん(監督)
『スポーツ応援を文化にするために』
当時早稲田大学スキー部の監督だった倉田秀道さんは、村岡選手の入学が決まった時点で、女子寮のバリアフリー化を提案し、実現してくれたそう。
倉田さんは勤務先のあいおい損害保険株式会社から出向し、1999年から助監督、2003年から監督に就任しています(早稲田大学競技スポーツセンター客員准教授)。
村岡選手の入学前当時は、障害者アスリートを受け入れるかどうか、学内は賛否両論だったらしいですが、部員の45人全員が受け入れに賛成しました。
倉田監督も、部員と共にしっかりとスキーと向き合っている村岡選手の姿を見て、受け入れる決意をしたそうです。
寮の改修費は600万円かかったそう。
(その内100万円は匿名の寄付だったそうです!すごい!)
桃佳さんにとってこれは嬉しくとも自分だけのためにと思うと、かなりのプレッシャーにもなったかもしれませんが、スキーに打ち込むことこそがそうしてくれた感謝の表現方法なのでしょう。
晴れて入学試験に合格することができ、その後も周囲のサポートに助けられました。
スキー部の卒業生や大学に寄付をしてもらい、スキー部寮のバリアフリーを整えてくださいました。
単位も日本にいる前期にまとめて授業を取るようにして、遠征に出る冬季はオンデマンドの授業でカバーするなどして何とか必要単位を取得しているそう。
それだけ本人も頑張り屋さんなのでしょうね。
早稲田大学で学業をしっかりとやりながら、スキーにも打ち込める環境を提供してくれた大学に村岡選手自体とても感謝しているようです。
そんな倉田監督は今、あいおいニッセイ同和損害保険経営企画部で、障がい者スポーツ、パラリンピック支援のプロジェクトチームリーダーを務めていらっしゃるそうです。
2020年東京オリンピックに向けても、障害のある選手の社会参加に本格的に取り組んでいらっしゃるようです。
障がい者アスリートが、みんなに応援されるだけでなく、選手自身が所属する地域や社内でお返しとしてどんな貢献ができるか、自主的に考え、良い関係になることを目指して『チームビルド懇談会』を実施しているとのこと。
単なる障がい者の法定雇用率確保が目的ではない。
きちんと人材として障がい者選手を活用しようという試み。
まずは契約社員として競技生活を支援し、将来、現役引退後は正社員として雇用を継続する。
そのためにも選手自身が社会常識や企業人として必要なスキルを学ぶ仕組みも構築していく。
村岡選手の活躍は、これから日本社会が障害を普通に受け入れていくきっかけにもなるのかも。
「とりえもない私が、少しでも意味のある発信ができる。それがすごくうれしいんです」と村岡選手は言いますが、そんな発信をできることも素晴らしいですね。
平昌パラリンピックは、今までにないくらいTVで紹介されていますが、それでもオリンピックに比べれば全然少ないですし、観る人も少ないかもしれません。
でも続けていけば障がい者スポーツがもっと身近になって、健常者スポーツと同様に見ていて楽しめるようになっていくと思います。
村岡選手の頑張りを見るにつけ、私自身ももっと程度は違えど同じ障がい者としてできることがあるんじゃないか?とそう思えるほど彼女は障がい者全体に物事を考える投げかけをしてくれたのではないかと思います。
そう思えるようになったことでも村岡選手に感謝しつつ、私ももっと前向きに頑張っていこうかな?と思うようになりました。
これからも村岡選手の活躍を応援したいと思います。
ですが、最後にスラロームが残っているんですよね。
あまり得意じゃないということでしたが、もう一個メダルを増やしてほしいなあと思います。
頑張れ村岡選手!
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